インタビュー

1人のお客様の課題を全員の課題と捉える。

風変わりな先輩との出会いが道を決めた

京都府・茨城県で配置薬業を営む株式会社中西薬品の2代目として奮闘する中西啓晃氏。実は、中西家は代々、奈良県で薬屋として商いをしてきた家系であり薬家業としては4代目。元々は貫成堂薬房という名前で医薬品を製造するメーカーであった。しかし2代目の祖父の時代に戦争が起こり製造を諦めた。薬家業3代目となる父の代から販売業に転換し、現在の中西薬品を創業したのだ。 
 2代目となる中西社長は高校を卒業し、専門学校を出た後に、新潟県の配置薬企業に就職、修業をした。その後、家業に戻ったが、配置薬が嫌になり家業を飛び出したが、父の体調不良がきっかけで27歳の時に復帰、30歳で会社を継いだ。父は代替わりの際に「お前の好きなようにやれば良い」と息子に伝え、その後は温かく見守った。   
中西社長は、幼い頃から父の横で薬を見たり、高校時代にはアルバイトとして父の新付け(新規開拓)を手伝ったり、周囲に配置薬がある環境で育った。配置薬に興味を持ったのは、高校時代にした新付けのアルバイト。当時、父の新付を手伝っていた先輩が中西社長の運命を変える。その先輩は、大学時代、空手部で腕を鳴らした〝強面のいかつい〟先輩。毎日といっていいほど紫のセーターを着てくる少し風変わりで面白い先輩だった。しかし、この先輩の新付けや、薬の説明、仕事の出立ちが面白い。人を惹きつける話し方、話す人みんなを笑顔にする不思議な魅力を持った人だった。父の知り合いの配置薬業者の人は、仕事で使うライトバンや軽四に乗っていたが、この先輩はスウェーデンのSAABに乗り異彩を放っていた。次に知り合った方も少し風変わりで、いつもエナメルの白い靴を履き、いかにも強面な風貌なのに、客先に行くとお客さんが喜んで迎え入れてくれる。こんな面白い先輩達を見て、面白い世界があるのだな、と配置薬業界に興味を持ち始めた。実は今登場したこの2人、今では業界でも有名な配置薬販売会社の社長なのだ。この出会いがあったからこそ、中西社長は配置薬業界で生きていこうと思ったという。


時代遅れの業界に覚悟を決め飛び込んだ

高校時代のアルバイトから数えると、業界と関わりを持って35年が過ぎている。業界に入った当時、先輩たちから教えられたのは「とにかく売れ。置いたら逃げろ!」だった。常にスニーカーを履き、走って逃げる準備をしていた。面白そうな業界だったが、実際に業界に入ると「時代遅れ」な業界だなと不信感を持った。父に業界の体質について相談したところ、意外な言葉が返ってきた。「俺が業界に入った時も時代遅れな業界と感じた。」と言うのだ。何十年も前に業界入りをした父でさえ業界の体質に違和感を感じていたのだ。しかし父は違った。その違和感に対して「やり方を変えれば勝機はある」と考え、法人化へ踏み切ったのだ。そんな父から代替わりをする際に、業界の先輩経営者に相談したことがある。その先輩はこんなことを言った。「配置薬は1軒1軒、頭を下げて小銭をいただく世の中の低辺の仕事と覚悟ができるなら継いだら良い。ただし我々は商売人だ。稼いだお金の使い道は良く考えろ。」とアドバイスをいただいた。『覚悟』という重い言葉に、自分自身の生い立ちを振り返って考えた。学もない、お金もない、底辺の仕事でも、今の自分には失うものは何もない。そう考えると不思議と不安もなく覚悟を決めることができた。父の後を継ぎ、株式会社中西薬品の2代目として配置薬業界という道を自分の足で歩み始めた。      

経営者の目線”を従業員に押し付けない。
「経営者としての成長」が社員を幸せにする。

父から会社を引き継ぎ、代表者になってすぐに気付いたことがある。それは、自分が営業マン時代に出来たことが従業員には難しいということ。いくら言っても伝わらない、出来ない、そういった現状を目の当たりにし、ストレスを抱える日々を過ごした。しかし、経営者の目線を従業員に押し付けている自分がいることに気付いた。間違っていたのは自分だったというその気付きは、経営者としての自分を見直す良いきっかけとなった。それからは、経営者の本やセミナーを利用し、経営者としての能力を磨くことに時間を注いだ。学びが会社の成長に繋がり、社員全員の幸せに繋がる唯一の道だと気付いたからだ。目線が変わるとビジネスのやり方も変わる。昔の配置薬業者の中には、伝説となるプロがたくさんいた。月の売り上げが五百万~一千万を超える方も実在した。しかし、今は時代が違う。昔のようなプロフェッショナルも少なくなった。だからこそビジネスの仕方を変えなくてはいけないと感じた。例えばAさんが担当するお客様で何らかの課題が見つかった場合、その課題は会社全員の課題と捉えて全員で課題解決に向けた対応をする。そうすると、お客様の満足度も向上し、従業員のチームビルディングにも繋がる重要な鍵になる。

お客様の満足度を高めるために、事務所に薬店とアロマショップを併設したり、鍼灸院も開設してお客様のサービス向上に努めた。従業員全員で東洋医学を学び、スキルだけでなく知識も高めて、他の配置薬業者ではできない本物の地域密着スタイルを追求した。中西社長は「配置薬の営業は、お客様の症状に合わせるのではなく、こういう商品だからあなたに必要です、というセールス的な部分が多い。それが本当にお客様のためなのか?そういう疑問が生まれた。だからこそ、全員で再度、お客様にとって何が大切か?という原点に立ち返り話し合った。そこで行きついたのが全員での顧客対応スタイルだった」と話す。


セルフスタンドの普及で気付いた先用後利の真実

ガソリンスタンドの店員さんたちを見て気付いたことがある。セルフ方式が増えだした頃、お店の店員さんが一生懸命、大きな声で呼び込みをしていた。車を誘導し、窓ふきも灰皿のごみ捨ても率先してやっている。しかし一生懸命、サービス向上に努めたにも関わらずセルフ方式にお客様が奪われ、今ではほとんどがセルフ方式になった。お客様の立場から見ると、大きい声での誘導や、窓拭き、灰皿掃除も需要がなかったということ。世の中の時流の変化を見てハッと気付いた。配置薬業界も「先用後利というシステムは便利です!」と売りにしているが、本当にお客様が喜んでいるかどうかは別物なのでは?という疑問が生まれた。配置薬業者が先用後利や薬の入れ替え、薬箱の掃除をサービスだと思っていても、実際にご利用いただくお客様が、本当にそれを「サービス」として認識しているのか?を確認しないまま進むのは危険だと感じた。確かに数百年前は最新のシステムだったのだろう。しかし、情報の伝達化がデジタルの普及と共に、より簡易で身近になり、通販会社や店舗などでも頻繁に無償サンプルやお試しサンプルを提供し、使用感を見てもらってから利用者を増やしていく、まさしく先用後利のシステムを応用している業界が増えてきた。だからこそ、勘違いをしないためにも現場を回る従業員たちとの会話を大切にし、お客様の生の声を知る努力を欠かさないように心掛けている。その声を届ける従業員たちと、経営者の距離が遠いと、そういった情報が入ってこないことにも気づいた。だからこそ、これからは「人を大切にする時代」になるのだと言う。昔、同業者の方に「薬屋は365日、働くんだ。」と言われた。しかし、父は違った。一日8時間で週休2日、その上で一般企業と同じ給与水準を目指せと教えられた。それが出来ない会社は、遅かれ早かれ淘汰される会社だと何度も言われた。その言葉を胸に経営者として、父の求めた水準に近づけようと長年努力している。


時代に応じて提供するものは変化していく

時代によって、お客様のニーズは変化し、それに対して提供するものを変えなくてはならない。その1つの取り組みとして、65歳以上で、ご家族様が同居されていないお客様には全件で救急時の連絡先を聞き、ご希望された方は、廻商が終わった後にご家族様への報告するサービスを行っている。これもお客様を想い生まれたサービスであり、「万が一」の場面に遭遇した際に、ご家族へ速やかに連絡が出来るからだ。そうしたサービスを提供することで、次の世代にも信頼していただける会社を目指しているのだという。    

最後に、未来の配置薬に何を望むか?という質問を投げかけた。   

配置薬業界は「自分の立場で話をする」人が多い業界だと思う。業界のことやお客様の立場で話をする人が皆無。自分の立場は大切だが、業界の未来のために何をするのかを真剣に話し合える仲間がたくさん増えることを願っている。そうすれば業界の未来は明るいものに変わっていくのではないでしょうか?そう笑顔で中西社長は答えた。



株式会社中西薬品 〒613-0035 京都府久世郡久御山町下津屋川原115
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