自衛隊で学んだ責任感が、老舗製薬の未来をつくった
創業八十年の重みと、家業への無関心がなかった
1945年、第二次世界大戦が終戦を迎えた年。焦土からの復興が始まる中で、奈良県葛城市に小さな薬屋が生まれた。それが和平製薬株式会社の始まりである。曾祖父が初代であり、以来、祖父から母へと受け継がれ、現在、四代目である岡井勇二氏まで引き継がれてきた。
和平製薬は地域に根ざした製薬会社として、地元の人々から愛され約90年の歴史を積み重ねてきた。
しかし、現在、代表を務める岡井社長の胸中に、かつて「事業承継」の文字はなかった。「生まれた時から家が工場であり、薬屋だった。それが当たり前の風景だったので、特別な感覚は全くありませんでした。私は次男ですし、将来、家業を継いで社長になるという大層なことを考えたこともありませんでした」
岡井社長は次男として育ち、家からも「跡を継げ」と催促された記はない。兄がやりたいことを見つけ、夢を追いかけるために上京した際も、どこか他人事のように感じていた。高校を卒業後、彼が選んだ道は、家業とは全くかけ離れた「自衛隊」であった。当時、自衛隊に就職すると、給与が支給されるだけでなく、数多くの資格を取得できることを知り、「お金ももらえて資格も取れる。」という単純な理由だけで自衛隊という道を選択した。
岡井氏社長は18歳から24歳までの6年間、陸上自衛隊に所属した。愛知県の駐屯地に所属し、厳格な規律と過酷な訓練に身を置く日々を過ごした。それは多感な青年にとって、決して楽な日常ではなかった。
「毎日が本当に大変でした。正直、辛くて苦しいことの方が多かったですね。スポーツ経験もほとんどなかったので、最初は訓練についていくだけで必死でした」
それでも6年間続けられたのは、「仲間の存在」があったからだ。
自衛隊は、個人の能力以上に「連帯責任」が問われる世界だ。一人のミスが部隊全員に波及し、一人の遅れを全員でカバーする。 「『一人はみんなのために、みんなは一人のために』。そんな精神を、理屈ではなく体で覚えさせられました。自分がしっかりしなければ周りに迷惑がかかる。同期がいたからこそ、逃げ出さずに頑張れたと今でも感謝しています。」
この時期に培われた「組織とは、そこに所属する全員の共同体である」という感覚は、指示を待つだけではなく、自ら考えて動き、全員が最後まで責任を全うするという、経営者にとって最も必要な思考を形作った。自衛隊での最大の学びは、学生時代には無縁だった「組織という集団の中で自分の役割を果たす喜び」を学んだことであり、これが後の和平製薬における組織づくりの土台となっていく。
広大な北海道の大地で知った「商いの原点と本質」
岡井社長が家業に足を踏み入れたのは、父の背中を見ている中で「配置薬(置き薬)」に興味を持ったからだった。当時、配置薬(置き薬)の営業をしていた父は、母に社長を任せて、自分は営業担当として北海道や名古屋、大阪を精力的に回っていた。
「自衛隊という塀の中で、束縛された日々を過ごしていた私にとって、父が語る外の世界の話はとても魅力的に映りました。その魅力に引き寄せられ自衛隊を退官し、家業に戻ることを決意した。最初は社員というわけでもなく、父の手伝いをするアルバイトのような感覚だったと当時を振り返る。入社から数年が経ち、父の高齢化に伴い、岡井社長は北海道を任されるようになる。北海道で過ごした約7年間という時間で、配置薬というビジネスの真髄を知ることになる。各家庭を訪ね、常備薬の使用を点検し、健康状態を伺う。単なる医薬品の売買だけではなく、時には悩みを聞いたり、家事のお手伝いをしたりしながら、家族ぐるみの付き合いをするのが当たり前だった。
「北海道のお客様との距離は本当に近かった。商売で行っているのに『わざわざ遠いところから来てくれてありがとう』とお土産をいただいたり、カニをご馳走になったり。用事がなくても『次はいつ来るの?』とお電話をいただく。そんな関係性が、本当に嬉しかったですね。」
実は北海道時代、岡井社長は、和平製薬ならではの“製造と販売がつながる喜び”を実感する出来事があった。「当社が作った薬を、直接お客様に渡せる。そして『これ、よう効くわ』という言葉を直接いただける」。この配置現場での感謝の言葉こそが、和平製薬が掲げる「疾病予防と全ての人々の喜びのために」という企業理念に繋がる原体験となった。
社長就任直後に起きた「最大の失敗」からの学び
2017年頃から、奈良の製造拠点と北海道の販売現場を往復する「二足のわらじ」を履くようになる。製造を学んで、自ら医薬品の製造を行い、北海道に行って自ら製造した医薬品を営業活動で販売する多忙な日々を送る中、配置薬業界は年々縮小の一途をたどり、現在では存亡の機に立たされている。インターネット販売の台頭、そして深刻な後継者不足。岡井氏がかつて父と参加した配置薬業界の会合は、10年前は席がないほどの人で溢れていたが、今は当時の4分の1以下にまで激減しているという。
「若い人がほとんどいない。つまり、若い人たちから見て存在価値も魅力もない業界であるということです。奈良県内の製造メーカーも去年だけで4社ほどが廃業を迎えました。和平製薬も一時期、製造を諦め、仕入れ販売だけに特化しようかと考えたことがありました。原料高騰や薬剤師の確保など、小規模メーカーが生き残っていくにはあまりに逆風が強かったんです。」
そんな窮地を救ったのが、ワキ製薬株式会社との提携だった。「製造設備があるし、良い薬も作っているので諦めずに続けるべきだ。」という脇本社長の言葉に背中を押され、現在はワキ製薬からの出向者も含めたチームで製造を継続している。先代社長であった母からバトンを受け継ぎ、2022年に代表取締役に就任した。しかし、社員時代とは見える景色が劇的に変わった。
「一番の違いはやはり責任感です。できないことはすべて自分の責任。社員であれば定時になれば帰れますが、社長はそうはいかない。やるからには最後までやり遂げないといけない、という覚悟が突きつけられました。」
その覚悟を決定づけたのが、就任から間もなく起きた大きな失敗だった。製造工程で原料を取り違え、製品を回収するという事態を招いたのだ。 「3年前のことです。会社としては本当に大きな失敗でした。当時は少人数で、決まった手順もないまま臨機応変に仕事をこなしていた。その隙が出たんです。」
しかし、岡井社長はここで立ち止まらなかった。この失敗を「成長の糧」と捉え、社内の体制を根本から作り直した。誰が担当しても同じ品質が維持できるよう、すべての製造手順を明文化し、仕組み化した。 「失敗を隠さず、全員で共有し、二度と起きないための形を作る。この経験が今の和平製薬の製造品質を支えています。あの苦い経験があったからこそ、今の私たちがあると思います。」
経営とは「優しさ」と「危機感」のバランス
和平製薬は、古くから「和平さんに言えばなんとかしてくれる」と評される、懐の深い家族経営を続けてきた。そのアットホームな空気は同社の最大の強みであり、同時に経営者としての岡井社長を悩ませる要因でもあった。
「良くも悪くも、みんなが優しい。昔からのお得意さんを大事にし、人と人との付き合いを重んじる。それは素晴らしいことですが、経営としてはもっと切羽詰まらなければならないと痛感しています。売上は少しずつ上がっていますが、利益はまだ不十分。ワキ製薬のグループ会社になり、利益の大切さを学びました。私たちはボランティアをしているのではなく企業経営をしているのだと痛感しました。利益に対して、もっと私自身が強い危機感を持たなければならないことを理解はしていますが、それをどのように現場に浸透させ、実際の利益につなげていくのか、常に自問自答しています」。ピリピリとした空気感で効率だけを追い求めるのが正解なのか、それとも伝統的な絆を優先すべきか。岡井社長が悩んだ末に出した答えは「誠実なコミュニケーション」だった。 「嘘をつけない性格ですから、思っていることは正直に伝えます。でも、ただ厳しくするのではなく、どうすればみんなが納得して動けるかを考え、伝え方を工夫しています。会社としての伝統は大切に守りつつ、緊張感をどう持ちながら仕事に取り組んでもらうか。これが今の私の経営者としての大きなテーマです。」
無駄な経験は一つもない──挫折が育てた技術力
「今、私たちが製造を続けられているのは、ワキ製薬の多大なる協力があってこそ。これを当たり前と思ってはいけない。早く恩返しをするために、自立して利益を生み出せる組織に成長すること。それが今の私の最低限の仕事であり経営者としての責任だと思っています。」
岡井社長は、伝統を守るだけでは成長できないという危機感を抱いている。だからこそ挑戦し続け「変化」をしなくてはならないと感じており、新たな事業にも積極的に取り組んでいる。例えば、和平製薬が近年取り組んだ大きな挑戦の一つに、プロテインの受託製造がある。一時は受注が殺到し、ホワイトボードが発注予定で埋まるほどの活況を呈した。しかし、そこには過酷な現実もあった。
「大口の案件でしたが、単価が非常に安かった。従業員の皆さんが日に日に疲弊し、体に鞭を打ちながら働く姿を見て、これ以上は続けられないと判断し、撤退を選びました。仕事がピタッとなくなった時は本当に困りましたが、あの判断は間違っていなかったと思っています。」
この一連の経験も、決して無駄にはならなかった。大量の粉体を扱い、効率的な充填方法やスピードアップを模索した日々は、会社の技術力を劇的に向上させた。 「1日の出来高を正確に把握し、チームを分けて効率化を図る。あの時培った『現場の知恵』は、今の医薬品製造にも確実に活きています。無駄な経験なんて一つもない。苦しい時期を共に乗り越えたことで、組織としての厚みが増したと感じています。」
挫折すらも糧にする。その柔軟な姿勢こそが、激動の時代を生き抜く経営者の資質といえるだろう。
少しずつ、確実に。人と人を繋ぐ「和平製薬」の未来像
最後に、岡井社長に今後の展望を尋ねた。返ってきたのは、派手な拡大路線ではなく、地に足のついた堅実な言葉だった。「急に大きくなろうとは思いません。みんながそれぞれの役割を全うし、利益もしっかりと確保できる。そんな『いい感じの忙しさ』がある会社にしていきたいと思っています。そして、仕事を通して少しずつみんなが成長していけるが理想です。」と笑顔で答えた。
配置薬というシステム自体も、時代の変化に合わせて形を変えていく時代がいつか訪れるかもしれない。「対面」が敬遠される時代だからこそ、逆に「直接会う」ことの付加価値をどう高めるか。ネットで薬が手に入るからこそ、和平製薬が作る薬を手に取る意味をどう提案するかが今後問われていくだろう。
「配置という呼び方さえ変えなければならない時が来るかもしれません。でも、どんなに形が変わっても、曾祖父の代から続く『人と人との付き合い』だけは失いたくない。信用で成り立つ商売ですから。」
自衛隊で学んだ「責任感」と、北海道で学んだ「商いの喜び」。その両輪を胸に、岡井氏社長は四代目としての歩みを止めない。創業八十年の歴史を背負いながら、その視線は百年、二百年先の人々の健康と、社員たちの笑顔へと向けられている。
和平製薬株式会社 〒639-2141 奈良県葛城市弁之庄380-1
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