インタビュー

子ども達の未来×地方創生にへの挑戦

“農業女子くま子”から地域を救う起業家へ
—笑顔の裏にある覚悟—

和歌山県かつらぎ町に拠点を置き、廃棄フルーツ、耕作放棄地、障がい者雇用、女性活躍など、数多くの社会課題と真正面から向き合う女性起業家がいる。かつては「農業女子くま子」としてYouTubeなどで発信し話題を呼んだ株式会社やまやま代表取締役・猪原有紀子氏だ。大阪府吹田市出身の彼女は、10年間勤めたIT企業を退職後、家族とともに和歌山県かつらぎ町へ移住をして起業した。現在は、経営者として無添加こどもグミの製造や観光農園の運営など、地域資源を活かした多角的な事業を展開しながら3児の母としても多忙な毎日を送っている。
インタビューを開始すると早々に、「和歌山県の“かつらぎ町”と奈良県の“葛城市”は名前が似ているだけでなく距離も凄く近いこともあり本当によく間違われるんですよ。今日はちゃんと来ていただけて安心しました!」と周囲を笑わせてくれた。場の空気を一瞬で明るくする不思議な魅力――経営者としての芯の強さと、親しみやすさが同居した独特の存在感を感じる彼女の経営哲学の秘密に迫った。

最初に疑問を持ったのが、なぜ大阪で生まれ育った彼女が、和歌山県のかつらぎ町という山間地域へ移住してまで起業という選択をしたのか?その理由を伺うと、猪原氏はまっすぐな目で「私たちは地域の社会課題に対してビジネスの力で解決する“ローカルヒーロー”を目指しています。皆さんが想像する以上に都会の課題と地方の課題では大きな違いがあります。人口減の問題や高齢化の問題、少子化の問題、農業の後継者不足の問題など小さな地方にある町にしか生まれない地域課題を解決する存在になりたいと思っています。当社にはプレスリリースを専門とするスタッフがいますが、彼女らが全国に向けて情報発信を行い、私たちの活動や、かつらぎ町の魅力を日本中に向けて発信しています。そうした小さな取り組みの一つ一つを継続することが、社会に大きな貢献や変革をもたらすという信念を持っています。ローカルヒーローを目指すというのは、こういう意味なんです。」と力強く説明してくれた。

猪原氏の歩みを辿ると、大学卒業後はIT企業に就職し、その会社で10年間勤務。主にマーケティングを担当し、入社1年目から赤字だったグループ会社(総合通販)を先輩達と共に黒字化するおいうプロジェクトに配属され様々な事を経験した。健康器具、サプリメント、生活雑貨など幅広い商材を扱い、サブスクの導入などで黒字化を達成。そして黒字化した後には事業自体をバイアウトしてキャッシュ化を実現させた実績を持つ。
そんな猪原氏の“社会課題との接点”は、意外にも家庭内の小さな出来事だった。



“世の中にないなら、自分で作ろう”
—すべてはその決断から始まった—

猪原氏は、大学卒業後、IT企業に10年間勤務。主にマーケティングを担当し、入社1年目から赤字のグループ会社(総合通販)の黒字化を任されたという。健康器具、サプリメント、生活雑貨など幅広い商材を扱い、サブスクの導入で黒字化。ついには事業売却まで実現させた実績を持つ。
そんな猪原氏の“社会課題との接続点”は、意外にも家庭内の小さな出来事だった。
当時2歳の長男に、祖父が軽い気持ちで与えた市販のゼリー風グミ。カラフルで甘く、子供が夢中になる味。しかし猪原氏は、食品添加物の危険性を知っていたため、息子がその味に執着する姿に強い恐怖を覚えたという。
「市販の子供向けお菓子の9割に添加物が含まれていることを知り、絶望しました。一方で、残りの“安全なお菓子”は加工技術の問題で美味しくない。息子にあげても『イヤだ!』と投げ捨て、泣きながら『綺麗な色のグミが食べたい!』と言うんです。胸が張り裂ける思いでした。」
この頃、育児と仕事の両立、そして息子への不安が重なり、猪原氏は産後うつのような状態に陥った。しかしここから、彼女の内側でスイッチが入る。
「諦めるんじゃなくて、“ないなら自分で作る”。そう決めたんです。でも技術も知識もない。だからまず、1枚の企画書を書き、周囲の友人や夫に“私の想い”を共有するところから始めました。」
この小さな一歩こそ、のちに4年半の開発期間を経て商品化される「無添加こどもグミ」への最初の道筋だった。



運命の地「かつらぎ町」で見つけた“答え”

そんなある日、和歌山県かつらぎ町を訪れた猪原氏は、町中に広がる美しい柿畑の裏で、大量の柿が廃棄されている現場を目にした。すごく鮮やかなオレンジ色の柿が、形が悪い、虫食いがあるなどの理由で大量に捨てられているのを見て、衝撃を受けた。
“もったいないな。これだけ鮮やかな色をしている新鮮な柿なら、捨てなくてもほかの利用法があるのにな”、そう思った瞬間、自分が練り上げていた構想と全てが繋がった。
「もしかすれば、この廃棄柿を使えば無添加のお菓子がつくれるのでは?」そう思った猪原氏は、農作業をしていたおじいさんに声をかけ、廃棄量を尋ねてみた。すると「そんなもん、数えられへんほど出るわ」と返されたという。この一言が猪原氏の事業構想を一気に実現へ向けて加速させた。
大阪に戻った猪原氏は、すぐに廃棄フルーツを活用した“地方創生×子供の健康”という事業プランをまとめ上げる。しかし、次に立ちはだかったのが資金問題だった。プランはまとまったものの、それを実行するための資金がない。何か資金を集める方法はないものか?と情報収集を行ったが、銀行融資以外に道がない。諦めかけたその時、なんとなく廃棄柿と出会ったかつらぎ町のホームページを閲覧した。
閲覧すると「起業補助金制度(最大500万円支給)」という文字が飛び込んできた。
猪原氏にとっては運命といわざるを得なかった。廃棄柿との出会いもかつらぎ町、補助金制度との出会いもかつらぎ町。「私は“かつらぎ町に求められている”と一方的に運命を感じたんです。」とかつらぎ町の補助金制度へ挑戦することを決めた。



「信念」が「奇跡」を引き寄せる

しかし、現実はそれほど甘くない。結果は3年連続の不採択。
さらに審査員からは「製造経験も知識もない人にグミは作れない」「プランが刺さらない」と手厳しい指摘を受けた。審査員に“添加物の恐怖”や“育児の現実”が理解されず、悔しさで涙がこぼれそうになったという。
また、商品開発を目指してある大学の教授に開発の協力をして欲しいと相談に行ったこともあった。共同研究の約束を貰い受けたが、実際には管理栄養士課程の学生2名がサポートしてくれてフルーツの皮剥きやカッティング、乾燥機へ投入しながら時間と湿度を変えてデータを採取してくれた。前処理のカットの仕方や、乾燥台への並べ方、食感も確認しながら子供たちのためにと協力してくれた。学生2人は母であり経営者である私の想いを汲み取り真剣に力を貸してくれたのです。しかし、相談に訪れた教授は、逆に添加物の安全性を主張してきた。添加物の恐怖から子供達の未来を守りたいという想いを最初に伝えたはずだったが全く伝わっていなかったのが残念でならなかった。
しかし、ここでも猪原氏は折れない。「諦めなければ、必ずチャンスの神様は微笑む」
この信念を胸に、同じプランで4回目の挑戦を続けた。そしてついに、追い風が吹く。
ある審査員がこう言ったのだ。「この事業は本当に素晴らしい。和歌山の農家では年間2〜3トンの廃棄農作物がある。子供たちの未来にも、農家にも、地域にも良い。私は応援したい。」
その審査員は、なんと手弁当で大阪まで赴き、多くの専門家を紹介してくれた。その中に、大阪市立大学・乾燥工学の伊與田教授がいた。「私の想いを語ると“一緒にやろう”と言ってくださる方と遂に出会えたんです。まさに奇跡でした。」



困難が多いほどイノベーションは生まれる

2018年4月、大阪市立大学との共同研究が正式にスタート。翌5月には家族でかつらぎ町へ移住を決断した。
「20回くらいかつらぎ町に通いました。でも、何度来ても“ここに暮らすイメージ”が湧かなくて(笑)。でも逆に、それが良かった。大きな変化の方が後戻りできないし、挑戦もブレない。そう思って移住を決めました。」
着想から商品完成までは4年半の時間を費やしたが、猪原社長は「誰もが苦難の多い道は避けたいと思います。しかし多くの困難や制約がある環境の方が、イノベーションが起きやすい」と語る。多くの壁にぶつかりながらも、最後まで走り抜けられたのは、彼女自身のしつこいくらい辞めないという強い意志だった。猪原社長の事業の推進力は、単なるビジネスチャンスの追求から生まれたものではない。当時、仕事が大好きでMBA取得を目指し大学院にも通い、キャリアを勢いよく積み重ねていた猪原社長。この順調だったキャリアは突然、不可抗力によって断ち切られる。猪原社長は妊婦の100人に1人がかかる重度妊娠悪阻という予期せぬ病気にかかったことで会社にパソコンやスーツを置いたまま、強制的にキャリアから外されたのである。8か月間の寝たきり生活を余儀なくされ点滴漬けの日々。彼女にとって、努力してもどうにもならない突然断絶した悔しい現実は深く刻まれた。動きたくても動けない日常で同期が出世していく。「私の方が仕事できるのに」と感じたこの強烈な悔しさが、起業家としての道を突き動かすエネルギーの源泉となった。



ソーシャルベンチャーとしての出発点

重度妊娠悪阻によって突然キャリアを絶たれたあの日、猪原社長は「努力してもどうにもならない悔しさ」を味わった。その経験が、ビジネスの力で社会課題を解決することを目指す「ソーシャルベンチャー」という今の原点となっている。
実はグミ事業だけではなく、親子ともども安心して遊べるキャンプ場の経営も始めている。キャンプ場事業の動機は、母親が自然体験のために子どもを連れ出しても「疲弊する」現状を解決したいという想いだった。野外であっても、子どもたちが大声を出したり大暴れしたりすると周囲に気を使い、心から楽しめず相当な気疲れを感じる。他にも問題点は多く、まともな授乳スペースがほとんどなく、駐車場に戻って車の中で授乳しなくてはならない。オムツ替えに関しても夏は暑く冬は寒いため落ち着いてできない。母親が常に我慢を強いられているのが現実だった。こういったことが積み重なり、「少子化の時代にこっちは3人も産んでるのに、どうして気疲れしないといけないかのか」。その怒りが、母親を真に解放できる場所づくりへの原動力となった。実際に開業したキャンプ場では、この「解放」を実現するために、スタッフが子どもの面倒を見るという体制が取られたことで、母親たちはリラックスでき、昼間から親子そろってビールを片手に笑い合う光景が広がっているという。



みんなに優しい社会の創造へ

母親としての経験と、経営者としての挑戦。その両方を通じて猪原社長が実現しているのは、「我慢しない社会」の実験だ。グミづくりでも、キャンプ場づくりでも、中心にあるのはいつも母の視点であり、人を思う力だ。
キャリアの断絶から始まった「悔しさ」をエネルギーに変え、他人が無理と考える課題に正面から向き合い、「どうやったらできるか」だけを考え続けた。製造経験も業界知識もなかった彼女が成功したのは、「無理かも」「できないかも」と思ってしまう瞬間をそのままにせず、常に「どうやったらできるか」だけで考える、既存の制約を超える姿勢があったからだ。その行動を通じて、母親、子ども、地域社会、そして障害を持つ人々を巻き込みながら、より優しく、新しい社会の「当たり前」を築き続けている。
「私はやめない。やめなかったら、何かしらの成果に繋がる」その信念を胸に、猪原社長は今日もまた、新しい当たり前をつくり続けている。



私の情熱が、次の誰かの情熱へ

最後に、様々なことに挑戦してきた猪原社長に「最も大変だったことは?」と尋ねると、意外にもこう返ってきた。
「実は、あまり大変だと感じたことがなかったんです。誰かに頼まれて始めたんじゃなく、自分がやりたいからやった。“子供が砂場で夢中になってお城をつくる”みたいな感覚で、次々と夢が形になっていったんです。」
猪原氏の言葉には、ビジネス書には載っていない本質がある。
「課題は“おもちゃ”みたいなもの。諦めるか、工夫して形にするか。私はずっと後者を選んできただけなんです。諦めなければ失敗にはなりません。壁にぶつかった時に、“どうやったらできるか?”に思考を切り替えること。私はその積み重ねで今に辿り着きました。」と笑顔で語った。たった一人の情熱から始まったストーリーは、地域社会の課題を解決し多くの人の未来を変えるストーリーへと繋がっていく。



株式会社やまやま  〒649-7121 和歌山県伊都郡かつらぎ町丁ノ町1526
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