技術者から経営者へ―「覚悟」と共に歩んだ経営の軌跡
奈良の静かな街並みの中に、洗練された佇まいを見せる美容サロン・株式会社MORE。従業員数32名、直営・FC合わせて8店舗を展開する美容サロングループを率いるのが田中実加社長だ。
奈良で起業し、大阪へと事業を拡大していく独自のサロン経営手法で成長を遂げている田中社長だが、彼女のキャリアは最初から「経営者」を目指していたわけではない。むしろ、予期せぬ困難や現場での葛藤、予期せぬ経営の壁にぶつかりながら、一つひとつ手探りで乗り越え経営者としての成長を成し遂げてきた歴史がある。華やかな美容業界のイメージとは裏腹な、泥臭くもまっすぐな「ひとりの人間としての生き様」を紹介したい。
厳格な父から多くのことを学んだ幼少期
田中社長のルーツは大阪にある。幼少期から体を動かすことが大好きで、休み時間になれば真っ先に校庭へ飛び出し、男子に混ざってドッジボールに興じるような、活発で運動神経抜群の少女だった。
「子どもの頃は美容とかネイルなんて、全く興味がなかったですね。とにかく体を動かすことが好きで、自分の感情に素直に、好きなことばかりをやって育ちました」と、田中社長は幼少期を振り返って笑顔を見せる。
中学校、高校に進学してからもスポーツへの情熱は衰えず、一貫してバスケットボール部に所属。汗を流す部活動に明け暮れる日々を送っていた。一方で、家庭環境は非常に厳格だったという。父はトラックの運転手、母は親戚の仕事を手伝うパートタイマー。勉強面で細かく口を出されることは少なかったが、生活態度に関しては厳格な父から厳しく教えられたという。特に「門限」に関しては徹底されていた。「門限は本当に厳しくて、夜の9時でした。大学生になってからもそれは変わらず、友達の家に泊まりに行くと言うだけで電話がかかってくるくらい。当時はそれが本当に嫌で仕方がなかったですね」しかし、その厳しい父親の背景にあったのは、人としてどう生きるか?という大切な部分であり、自らに向けられた娘に対する愛情であったと社会に出てから気付いたという。父の厳格な生き様は、現在の田中社長の経営観や人間性に大きな影響を与えている。
田中社長の父は次男だったが、長男が家を離れたことをきっかけに、父親(田中社長から見た祖父)の面倒を見るため、50歳にして長年勤めたトラック運転手を辞め、実家の農業を継ぐ決断をした。未経験の農業に飛び込み、周りの人に謙虚に頭を下げて教わりながら、泥まみれになって畑に向き合う父の姿。そして、先人を大切にし、毎日欠かさずお墓参りへ通う真面目さ。「大人になって振り返った時、一番尊敬しているのは父なんです。わからないことでも人に話を聞いて一から頑張る姿や、家族や家を守るために覚悟を決めて生きる姿勢は、私の中に今も深く刻まれています」と笑顔で父との思い出を語った。
経営に必要な力を学んだ様々な働き方
田中社長は、高校時代から大学生時代にかけて、様々なアルバイトを経験した。高校時代には、学校の近くにあったマクドナルドで接客を経験した。約2年間、カウンター越しにお客さまと向き合い、「スマイル」を提供する日々。この接客の原体験が、田中社長のコミュニケーション能力の土台をつくったという。
大学進学に際しては、第一志望には不合格。しかし、落ち込むことなく「英語が好きだから」というシンプルな理由で、別の大学へ進学し、そこで英語を学ぶ決意をした。失敗に挫けずに前を向いて、今与えられた環境で自分ができることをする強さも、この経験が生きていると話す。
大学時代は、スーパーの衣料品コーナーでの服をたたむ作業や、ホテル・結婚式場での配膳スタッフなど、様々な職種を経験し、与えられた場所で汗を流した。「何か明確に『これがやりたい!』という強い意志があったというよりは、自分の『好き』という感覚を大切にしながら道を選んでいた。」と田中社長は語った。
大学卒業後、田中社長が選んだ最初の就職先は、英会話学校ではなく、大手パソコンスクールだった。当時、英語学科の同期たちは、大手英会話学校への就職を目指していたが、「これからの時代、パソコンを使えることが重要になる」という実利的な視点から別の業種の門を叩いた。しかし、そこで待ち受けていたのは想像を絶するハードな勤務環境だった。田中社長は当時を「本当に休憩時間がなく、朝から終電間際までずっとレッスンや業務に追われる日々で、体力的にも精神的にも辛かった」と振り返った。
それでも、前向きな性格で「どんなに厳しくても1年間は絶対に辞めずに続けよう」と心に決め、やり遂げた。この過酷な1年間で培ったPCスキルとタイピングのスピード、そして厳しい環境を耐え抜いた忍耐力は、後に起業した際のバックオフィス作業や業務効率化において、大きな武器となって活きることになる。その後は法律事務所へ転職し、弁護士事務員として勤務した。書類作成や事務処理の正確さを求められる環境で、堅実な実務能力を磨いていった。
仕事と家庭の両立が起業への道を開いた
法律事務所で勤務していた時期に、田中社長は結婚を迎える。これを機に生活の拠点は大阪から奈良へと移った。奈良から大阪の事務所への通勤は負担が大きく、やがて2人の子どもに恵まれたことで、彼女のライフスタイルは一変する。下の子がまだ小さな時に、奈良のネイルサロンで働き始めたが、思いのほか、仕事と子育てとの両立という大きな壁にぶつかった。職場に対して、急な休みなどで迷惑をかけるのが心苦しくなり、2年ほど勤めたサロンを退職し、自宅の一室でネイルを始めることにした。最初から『起業』という大きな志があったわけではなく、子育てをしながらネイルの仕事を続けるために自宅サロンをスタートしたのであった。これが、現在の株式会社MOREの原点となる最初の一歩であった。一人で始めた自宅サロンだったが、田中社長の丁寧な施術と親しみやすい人柄が評判を呼び、次第に顧客が増えていく。間もなく一人のスタッフが加わり、2人体制で自宅サロンを運営するようになった。しかし、自宅のサロンでは受け入れられるお客さまの数に限界が訪れる。
そこで、2010年、田中社長は大きな一歩を踏み出す。自宅を出て、初めてテナントを借りてサロンを開設したのだ。
「ネイルサロンは美容業界の中でも初期投資が少なく済む業種です。それまでの貯金でスクールに通い、材料を揃え、売上が上がったら新しい商材を買う……という堅実なステップでやってきたので、出店にあたって大きな資金調達をする必要もありませんでした。周囲からは『リスクを取ってすごいね』と言われましたが、自分の中ではごく自然な流れだったんです」
テナント移転時、スタッフは4名に増加。そこから田中社長の快進撃が始まる。奈良県内を中心に店舗を次々と出店し、ビジネスは順調に拡大しているように見えた。
雇用という責任の重さを学んだスタッフの離反
店舗数が5店舗、6店舗と増えていくにつれ、経営者として初めて「人の問題」という巨大な壁に突き当たることになる。
初期の店舗展開では、田中社長自身が直接指導をしてスタッフを育て、そのスタッフを店長に任命し、新たな店舗を発展させていくというスタイルをとっていた。そのため、接客の空気感や提案の仕方も田中社長のアイデンティティがそのまま受け継がれていた。
しかし、6店舗目に達する頃には、現場の教育システムに綻びが生じ始める。「私から学んだ店長が、さらに次のスタッフを教え、そのスタッフがまた次のスタッフを教える……となると、世代を経るごとに私が大切にしてきた思いや技術のニュアンスが薄まり、ズレが生じてしまったんです。私自身も一人のプレーヤーとして現場に立ち続けていたため、すべての店舗のスタッフ一人一人と向き合うことができなくなっていました」
ダブルチェックの仕組みも不十分なまま店舗を任せてしまったことで、各店舗で独自のやり方が横行し、サービスの品質や教育体制にバラつきが出始めてしまった。
さらに2022年頃、一部の店舗を売却した際には、経営者人生最大の苦い経験を味わうこととなる。
「店舗を売却する際、当時の私は自分の都合や経営判断ばかりに目が向いていて、そこで働くスタッフたちの不安や複雑な心境に寄り添えていませんでした。結果としてスタッフからの強い反発を招き、大きな揉め事に発展してしまったんです。無事に売却自体は終わったものの、その後も溝は深まり……。『ただ闇雲に店舗を広げるだけではダメなんだ』『人を雇うということは、その人の人生に責任を持つことなんだと痛感しました』と田中社長は過去を振り返り、自らの過ちを省みた。
経営者としての甘さを痛感し、学んで生まれた経営理念
組織の課題に苦しむ中、追い打ちをかけるように訪れたのが、2020年からの新型コロナウイルス感染症の世界的流行だった。当時、田中社長は長年抱いていた新たな夢の実現に向けて動いていた。それは、これまで手がけてきたネイルやまつ毛エクステだけでなく、総合的な美を提供するための「美容室(ヘアサロン)」の開設であった。
国の「事業再構築補助金」を活用し、自社テナントを新設して、1階に美容室、2階にネイル・まつ毛サロンを併設する総合美容サロンを創る計画を立てた。しかし、ここで予期せぬトラブルが発生する。
コロナ禍に伴うウッドショックや建材価格の高騰により、当初の見積もりから建築費が1.5倍にまで跳ね上がってしまったのだ。
「土地と建物の双方を購入・建設していたため、思わぬ負債を抱えることになりました。それでも『補助金で2,500万円程度が戻ってくる予定だから大丈夫だ』と自分に言い聞かせて進めていたんです。ところが、いざ建設が終わり審査を受けると、対象基準の厳格化により『認可される補助金は200万円だけ』という衝撃的な通知が届きました」壁紙の一部の費用しか認められないという過酷な査定に対し、田中社長は諦めずに何度も書類の再作成や交渉を重ね、最終的には1,150万円まで支給額を引き上げた。それでも当初予定していた金額からは1,000万円以上の乖離が生じた。
田中社長は、当時のこの事件について「甘い見通しで進めてしまった自分を猛省しましたし、経営者として計画性の大切さを突きつけられた瞬間でした。でも、この絶体絶命のピンチを死に物狂いで乗り越えたことが、結果として私を1人の経営者に変えてくれた素晴らしい試練であったと思います」と自らの力不足を振り返った。
幾多の試練を経て、田中社長は自身の経営スタイルを根本から見直すようになる。その大きな転機となったのが、京セラ創業者・稲盛和夫氏の経営哲学を学ぶ経営塾への入塾だった。それまでの田中社長は、「お客さまに喜んでもらうこと」「売上を伸ばすこと」を愚直に追求してきたが、塾での学びを通して、会社としての明確な理念や言葉を持つことの大切さを知り、ひとつの明確な企業理念が紡ぎ出された。
企業理念
「私たちのサービス提供を通じて、全従業員の物心両面の幸福を追求するとともに、事業に関わる全ての人に幸せを届ける」
経営理念を作るまでは『技術の鍛錬と顧客満足度の向上』を重視していました。しかし、稲盛氏の教えを学ぶ中で、現場で働くスタッフを幸せにできない経営者が、本当の意味でお客さまを幸せにすることなど不可能であることに気付いた。
「働きやすさ×思いやり」の経営
田中社長へスタッフの皆さんに対する思いと未来への展望を伺ってみた。「美容業界というのは、国家資格を持つ美容師の方よりも、民間資格であるネイリストやエステティシャンは、どこか一段下に思われてしまう風潮があります。でも私は、スタッフの皆さんに『私たちの仕事は、目の前のお客さまを美しくし、その人が笑顔で家庭に帰ることで、周りの家族まで幸せにできる素晴らしい仕事なんだ』と誇りを持ってほしいと考えています。
現在、田中社長が経営において最も大切にしている言葉は「思いやり」だ。
一般的に美容業界のイメージは、営業終了後に残業代も付かずに、残って自主的に練習をするという暗黙のルールや、休日の講習参加、無給の下積みといったブラックな労働環境が想起されがちだ。しかし、田中社長のサロンでは、そうした業界の旧態依然とした常識を徹底的に排除している。
他社と違って朝礼などの形式的な場は設けず、サロンワークの中で教育や対話、助け合いの姿勢を先輩が後輩に伝えていくこと。そして、技術研修は勤務時間の範囲内で先輩と後輩が時間をとって技術を教えていく体制など、これまでの業界環境とは異なる「経営者としてスタッフに対する思いやり」を大切にしながら経営をしていこうと試みている。
田中社長は、過去に自ら苦労を味わったからこそ、勤務時間外の残業練習やお給料の出ない研修は、スタッフの技術は向上するがモチベーションは向上しないことを経験している。だからこそ、スタッフには同じ思いをしてもらいたくないと、レッスンや研修はすべて就業時間内に行うことを徹底している。
現在、スタッフ数は32名に達し、田中社長自身が現場でスタッフへの直接指導をする機会は減り、各店舗を巡回するスタイルへと変化した。従業員が増えれば増えるほど、会社として成長はしていくが、逆に課題も増えていくという。課題と直面するたびに、自身の「弱さ」を痛感し、自身と向き合わなければならない時間が増えることに気付いたと話す。
「実はスタッフの方に対して強く伝えられないところがあるんです。正しいこと、伝えるべきことを曖昧にしてしまったり、スタッフの方から少し反対意見や、納得していないなという空気感を感じると、簡単に引き下がってしまう弱さがあります。先輩経営者からも『田中さんは経営者としての覚悟が足りない』と経営者としての思考について愛情のある指摘をいただくこともありました。優しさと甘えは違う。社員を本当に守るためなら、時には嫌われる勇気を持って正しい方向に導く『覚悟』を持たなければいけないと、日々自分に言い聞かせています」
不器用なまでに素直に自身の課題を語る田中社長。
その飾り気のない人柄こそが、周囲のスタッフや顧客から愛される最大の理由なのかもしれない。
未来への展望 女性が一生輝ける場所を目指して
現在、田中社長は「株式会社MORE」で奈良県内に4店舗(総合美容・ネイル・まつ毛サロン)を展開し、もう一つの法人「株式会社spread」ではネイルサロン「Nail salon CREST」を大阪・奈良に4店舗展開している。
スプレッド社においては、フランチャイズ(FC)展開をスタートさせており、独自の高効率オペレーションと教育ノウハウをパッケージ化し、全国へ広げていく準備を進めている。
「業界全体を見ると、未経験から美容業界を目指す人は奈良では厳しい面もありますが、大阪など都市部ではまだまだ意欲のある人が集まります。しかし、サロンワークに必要な教育を提供する時間が現場に足りていないのが美容業界共通の課題です。だからこそ、私たちの教育システムと仕組みを確立し、全国で店舗を展開していくことで、ネイリストたちの地位向上と活躍の場を増やしたいと考えています」
最後に、田中社長に「あなたにとって経営とは何か?」と問いかけた。
少し照れくさそうに笑いながら、彼女はまっすぐな目でこう答えてくれた。
「かっこいい言葉は言えないですけれど……経営とは『一緒に頑張る仲間を増やし、その人たちを全員幸せにすること』だと思っています。美容業界は女性が中心の職場です。結婚しても、出産しても、子どもが小さくても、安心して戻ってこられる場所を作りたい。でも、ただ『優しくて働きやすい職場』というだけではなく、スタッフみんなが『この会社で働いていて本当によかった』と誇りを持てるような、もっと大きくてワクワクする夢を、これからはみんなと一緒に追っていきたいですね」
彼女の歩んできた軌跡を振り返ると、その言葉をいつか実現するのではないかという期待を抱いてしまう。過酷な会社員時代を耐え抜き、子育てと両立するために自宅の1室から始めたサロン。店舗拡大に伴う人間関係の苦しみに悶え、コロナ禍の資金トラブルなどの数多くの不測の事態が起きても、田中社長は決して諦めず、すべて正面から受け止めてきた。
泥臭い現場の痛みを誰よりも知っているからこそ、彼女が語る「全従業員の幸福」や「思いやり」という言葉には、嘘偽りのない圧倒的なリアリティと温もりが宿っている。
失敗を隠さず、自らの弱さを開示しながら、一歩一歩前へ進む田中社長。彼女が率いる「株式会社MORE」「株式会社spread」「Nail salon CREST」が、これから全国の女性たちをどのように輝かせていくのか。その挑戦の物語は、まだ始まったばかりだ。
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