地域社会とお客様、そして従業員や両親へ。配置薬事業を通じて関わる全ての人に恩返しを。
学生時代に味わった挫折から多くのことを学んだアトツギ
東京都国立市で創業し、地域の方々と40年以上にわたって向き合ってきた医薬品販売会社の株式会社オカコー薬品。その株式会社オカコー薬品を若くして引き継いだ2代目が岡田照生氏である。現在は順調に業績も推移しているが、安定路線に乗るまでには、数多くの苦難に見舞われ、本当に苦しい道を、信頼する従業員たちに支えられ乗り切ってきたと岡田社長は話を始めた。
岡田社長は、現在2代目として会社を継いでいるが、元々はスポーツ選手になるのが夢だった。幼少期から野球やサッカーチームに所属し、グラウンドを駆け回るスポーツ万能少年だった岡田社長。中学、高校と続け、ずっと応援してくれた両親に恩返ししたいとプロを目指した。大学もサッカーを続け、最高のパフォーマンスをするためには、研ぎ澄まされたフィジカルが必要だと考え、食事制限やトレーニングにも励んだ。
しかし、怪我には勝てなかった。足首の怪我を繰り返し、将来的には日常生活にまで影響を及ぼす可能性があるほど、ダメージは蓄積され怪我の再発が絶えなくなり、ついに大学2年生の時、サッカーでプロになる夢を断念した。夢を断念したものの、これまでスポーツ中心の生活を送っていたこともあり、毎朝、目が覚めると「今日は何をしよう・・・」と目的も目標も無い日々が続く。虚無感しか生まれなかった。これまでのように食事制限も辛いトレーニングも無く、何の制限も無い自由な日々は、想像した以上につまらない日々となった。しばらく自由を満喫しようと遊びに熱中しようとしたが、それも虚しくなるだけであった。やはり振り返ると、アスリートとして歩んで来た時間が長く、途中リタイアするしかなかった自分に納得がいかなかった。そこで、学生の最後の一年を、再びアスリートを目指す挑戦をさせて欲しいと両親に直談判した。
目指したのはプロゴルファー。年齢的にも最後の挑戦ということで、どのスポーツをするか悩み抜いた末に見つけたのがゴルフだった。両親を説得し、一年間、死に物狂いで練習に励み、1年でプロテストを受ける資格を手に入れた。そして挑んだプロテスト、結果は惜しくも不合格となったが、プロテストを受けたこと、一年間、本気でプロを目指し納得するまでやりきったことでアスリートとして生きていくことを諦める区切りになったと話す。
支えてくれた両親に対する感謝の想い
そして新社会人としての歩み
岡田社長は「親に経済的な負担を掛け、最後まで好きにさせてもらったし、最後まで応援してくれた。次は、私自身が社会に出て働き、いつか両親に恩返しをする番だと腹をくくった」と言う。しかし、岡田社長は、大学を卒業してすぐにオカコー薬品に入社したのではない。父から「自分の知ったところ(親の会社)だけで生活をすると、知らず知らずのうちに内弁慶になったり、天狗になったりする可能性がある、だからこそ、よその飯を食べてきなさい。」という教えがあったからだ。父の教えの通り、大学卒業後は、野村證券に入社し、経済や金融、世の中の動向について多くのこと学んだ。
野村證券時代は、営業部に配属され、新規口座を開拓する飛込営業担当となった。ほとんどの同期は新規開拓の営業は、初めて経験するのだが、実は岡田社長、高校や大学生の時に、お小遣い稼ぎをしたいと父に申し出て、配置箱の新付けのアルバイトを経験していた。その経験がここで活きてくるのである。配置薬か口座かの違いだけであり、堂々と飛込営業をこなしたのだ。先輩社員や上司からも褒められ、嬉しさと共に自信もついていった。また、当時はバブルの景気の波が訪れ、どんどん新規契約が取れたので、仕事が楽しくて仕方がなかったと振り返る。
しかし、時間と共に業務内容の様々な部分が見え始め、内容についても理解度が熟していくと、やはり証券はギャンブル性を持つ投資であり、場合によってはお客様に損害を与えてしまう結果となることもある。仕事は楽しくやりがいもあるが、果たして今後も自分にとって、自信を持ってお客様に勧められるか?という葛藤が生まれた。そういう葛藤をもちながら仕事に向き合うと、少しずつ自信がなくなっていった。そして、3年ほど勤めて退職することになった。
父の背中を追い求めた二代目
経営者になり父の偉大さを知る
退職する際に、次をどうするか?と考えたとき、やはり父の姿が思い浮かんだ。父に面接を願い出て、一人の営業マンとして入社をさせてもらった。入社後は、一人の営業マンとして、父の背中を追いかけ続けた。数年、父のもとで様々な仕事をさせてもらい多くのことを学びながら、少しでも社長である父のサポートが出来ればと走り続けた。
しかし、従事して数年後、毎年夏に行っている会社の健康診断で、父が貧血気味だということが判明し、改めて診察を受けたところ先天性の病気が発覚したのだ。しかも余命は後半年だというのだ。家族全員に衝撃が走り、何も考えられなくなった。しかし、それよりも驚いたのは、父の落ち込む姿を初めて見たことだった。父自身、相当悩んだと思うが、家族としてできることは明るく振る舞い、父に万が一のことがあっても全員で支えていくことと誓い合った。余命宣告を受けてから、もし社長がいなくなったら会社はどうなるのだろうか?という社員の声も聞こえてきた。父に負担を掛けないためにも、自分自身が一日も早く成長し、社員たちを安心させることが、今自分に出来ることだと気付いた。それからは、父には悪いが「半年後、父はこの世にいない」と考え、この半年で自分が出来ることは全て引き受けよう、全ての仕事において、もし父が居なければ、この仕事はどうすれば正しく対応できるのか?という自問自答の日々が続いた。そうした自問自答をひたすらに繰り返したことで、精神的にも大きく成長できたと岡田氏は語る。
余命宣告を受けた後、一時期は落ち込んだ父であったが、後ろ向きな発言や態度は一切なく、むしろ生き抜くんだという強い意志を感じた。お陰で余命半年の宣告を受け、7年ほど経つが、今も元気に長生きしてくれている。活力あふれる父を見て、一体どこまで追いかければよいのか、いつか先代である父の背中を超えたいが、逆にますます偉大に感じ、誇らしさが増大していく。経営者になったからこそ、余計に父の背中が眩しく感じる。
全ての従業員を大切にすることこそ
経営の根幹という先代の教え
父から口酸っぱく何度も教えられたことがある。それは「従業員を大切にすること」。実は、先代である父から一番初めに教わったことでもある。「全ての従業員を大切にすることこそが経営の全てである」というのが父の信念だった。なぜかというと、直接お客様と接する営業マンが、普段会社とどういう繋がりを持っているのか、社長とどういう関係性なのかは、営業を通してお客様にも最終的に伝わっていくのだと。社員を大切にすることは、お客様を大切にすることにも繋がるということを教わり今でも大切にしている言葉だ。自身が2代目として社長に就任し、7年ほどが経つが多くの失敗を経験した。若くして社長業を引き継ぐことになり、がむしゃらに働いたが、業績が思ったよりも伸びないと、どうしても周囲に対して語気が荒くなってしまったり、誰かのせいする話し方をしてしまったりした経験がある。業績が伴わない本当の理由は、自身の経営者としての能力が低いだけだと分かっていた。しかし、思いがけず「社長のバトン」が渡されたことで、何とか父のように立派な社長像を見せなくては、という虚勢を張り、格好だけを気にする自分が居たと心から反省している。そんな未熟な経営者であったにもかかわらず、本当に従業員の方たちが根気よく支えてくださったと岡田社長は感謝している。営業では先代の両脇を固めていた古参の2人が中心となり、営業全員をまとめてくれて、社長のわからないところは自分たちが何とかすると率先して動いてくれた。また、事務の皆さんも協力的にサポートしてくださり、全員が会社を支える姿勢で私を支えてくれたのが本当にありがたかったと、岡田社長の言葉には従業員の方に対するたくさんの感謝の言葉で溢れていた。
若い力を社業に活かす!時代に合った組織へと変化するオカコー薬品
若い世代が自発的に考動でき、地域社会から応援したくなる企業を目指す
企業として若い人材確保は企業存続に向けて重要な鍵であると岡田社長は考える。若い人材は、共に働ける時間も長くなるし、知識の吸収が早いことも魅力。そうした若い人の雇用に対しても積極的に取り組んでいる。採用活動の中で最も変わったのは募集方法。ウェブ採用が多い現代社会において、単に記事を載せるだけではなく、記事の載せ方であったり、入り口の種類を増やす工夫、更には、会社の魅力をどう伝えるかを常に考えている。入社後も、育成プログラムやワークライフバランスを時代に合わせて真剣に更新しないといけないと感じている。
今の時代のスタイルに対応できない企業は、いくらSNSやネット広告を活用し露出を増やして求人に成功したとしても、結局は短期間で退職する可能性が高くなる。そういう意味では若い世代を育てる30代以上の先輩社員や管理職が、時代に対応した教育法を学び、若い人たちの受け皿として変化しなくてはならない。その受け皿となる先輩社員や管理職の人たちが頑張ってくれるお陰で、新人育成も順調に進んでいる。また、オカコー薬品では、過度な人材育成をしないことを徹底している。どういうことだと疑問に感じるかもしれないが、若い人たちの自発性を高めるために、まずは自分自身で考え、行動することを大切にしてもらっている。また、雇用形態も複数設けて従業員側が望む雇用形態を選択できるようにしたり、結果と評価のバランスが釣り合うように心がけている。会社が、従業員を大切にすれば、自然と自発型の従業員が増え、企業も成長し、地域の方々から応援していただける企業に成長するはずだと考えている。もちろん仕事だけでなく、家族との時間や自分の時間を大切にして欲しいとも願っている。
最後に、配置薬はどのような仕事か?と質問を投げかけたところ「配置薬は素晴らしいし大好きな仕事」と即答した岡田社長。社会全体が便利になり、昔とは違って色々な方法で簡単に薬を手に入れる時代になった。それは消費者の方々にとっては良いことだと思っている。簡単に入手できるからこそ健康維持を意識する人が増加している。そんな中で、もし自宅に薬が設置されていると、何かあった時にすぐに手に取り使える。それは怪我だけでなく、震災などの時でも同様である。そういう面で考えると、配置薬は消費者のタイムロスがなく日本国民の健康面や安全面を考えたときには必須のサービスだと自身を持っている。しかし業界は縮小傾向にあり、多くの問題が存在するという。しかし、逆に考えれば、その問題をどう解決していくか、言い換えればその解決法を考えるのが経営者としての責務だという。父から引き継いだ大好きな仕事だからこそ、残したい気持ちが誰よりも強い。これからの配置薬業界は、製販一体となって、横並びで手を取り合い進んでいくのが、今後の在り方なのでは?と感じている。消費者に喜んでいただき、更に製販共に成長していける、そんな理想を実現できることを願う岡田社長であった。
株式会社オカコー薬品 〒186-0012 東京都国立市泉3-28-3 オカコー薬品本社ビル
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