苦境こそ明るく振る舞いプラスな言葉を心掛ける。
常に心から仕事を楽しむ
父に憧れた少年時代
その昔、天下統一を目指した戦国武将である織田信長が生まれ育った岐阜県。その岐阜県から信長のように全国各地へ事業を拡大し、多くのファンを増やしている配置薬の会社が宮島薬品株式会社だ。岐阜県を中心に東海地区、そして日本全国各地に事業所を開設し、配置薬業を通して地域の健康生活を支えている。その大所帯をまとめるのが2代目である代表取締役社長・宮島重樹氏だ。
宮島社長は、幼少の頃から創業者であった父の背中を見て育ち、中学生になる頃には「将来は薬屋をする使命なのだ」と考えるようになり、それが自分の人生だと信じていた。幼少の頃によく父から聞かされたのは、「お客様が元気になった!」「喜んでくれた!」「儲かった!」というような言葉ばかりだった。父が仕事から帰ると、四六時中、仕事について本当に楽しそうに話す。いつも仕事について嬉しそうに話す父の姿を見て、宮島社長は父に大きな憧れを抱いていた。 18歳になると、当たり前のように業界の門をたたき、まず東京の配置薬の販売会社で5年間の修業の日々が始まった。幼少の頃から「配置薬は儲かるし楽しい仕事だ」と散々、聞かされた夢の仕事につき、自分の未来は明るい希望で満ち溢れていると疑わなかった。
しかし、入社してすぐに父に騙されたことに気付いた、と大笑いする宮島社長。普通なら父親とケンカになるところ。しかし、宮島社長は「騙された」という想いよりも、「入ると決意し、入社書類に判を押したのは自分の責任」と覚悟を決め、誰よりも仕事を楽み、父のように誇りを持てる仕事にしようと心に誓った。
父が託した2つの宝と
今も忘れぬ大きな宿題
業界に入り既に40年が経とうとする宮島社長に「今までの経験で最も印象に残っていることは?」と聞くと、事業承継の時だと話す。先代であった父は、承継の際にある試練を与える。「今後の事業計画を作成し、銀行に行って今よりも低い金利で資金調達をして来い」と叩きつけたのだ。金融機関との交渉する術も知らない、経験もない、宮島社長は、いったいどうすれば銀行が首を縦に振るのかを夜通し考えたという。数日後、父よりも低い金利とはいかなかったものの、同じ金利で資金調達に成功した。その姿を見て、父はバトンタッチを決断したという。
父から引き継いだものは、単に会社だけではなかった。会社だけでなく、長年にわたって会社を支えてきた優秀な人財たちも同時に引き継いだ。そういった多くの基盤を父から譲り受け、宮島社長は2代目に就任できたという。「騙された」と感じるスタートだったが、業界に入るまで長年、父の姿を見てきた。難しい仕事ということは理解していたが、どんな試練であろうとも、まずは「何事に対しても一生懸命に取り組むことが大切」という大きな学びを得た父からの大きな宿題が今も心に残っているという。
心から配置薬業に対する
誇りを持って従事しているか
宮島社長の持論は、『寿命を引き伸ばすのは医者であり、健康寿命を延ばすのは私たち薬屋』だ。確かに医者は、病気の説明はしてくれるが、生活環境までは関与しない。しかし、配置薬業は、お客様の相談を受け、生活環境のアドバイスをしっかりと行い、お客様の本当の健康生活を支援していると言える。例えば、80歳で亡くなった方が、79歳まで元気で過ごしていたとしたら、これは非常に素晴らしいことだと言える。しかし宮島社長は「日本人の寝たきり年数は世界一。男性で約8年、女性で約12年。入院した時点で、その人の人生は終わったのと同じ。医者は病気を治すのが役割であり、健康を伸ばすのは最前線でお客様と接する配置薬業である僕らの仕事でしょう。だからこそ、そういう高貴な仕事に携わっているという誇りと責任感をもって従事しなくては、お客様に対して失礼だと思うのです。」と語った。
宮島社長の言葉は、業界で働く全ての人々に対して「業界に人がいない」「売り上げが伸びない」「薬が売れない」といった次元の低い話ではなく、今、業界で働く人たちが「真摯にお客様と向き合っているのか」「正しい情報を伝えなければならないという使命感を持って従事しているのか」さらには、「そのための努力を惜しまず真剣に行っているのか」を自問自答するべきだと言っているように聞こえた。今、自分がしている「配置薬販売業」という仕事に対して、心から誇りを持って取り組んでいる業界人はどれくらいいるのだろう。この業界に従事する全ての人が配置薬業に誇りを持てる時代を再び創り上げようとする熱意が言葉からも伝わってきた。
発する言葉の変化が
次世代の人財発掘に繋がる
宮島社長は、幼少期に父から何度も聞かされた「配置薬は素晴らしい仕事」という言葉が今も胸に残っている。子供ながらに信じたその想いは、今も自身の中で引き継がれ、自信をもって従業員たちにも「配置薬は素晴らしい仕事だ」と伝えている。宮島社長は業界の後継者が育たないのは、「配置薬はきつい、儲からない、高いものを売りつけている」という負の意識を経営者自身が持ち、社内や家で仕事に対するマイナスな発言が増えているのではないかと危惧している。マイナスな話ばかりを聞いて育った子供たちが親の事業を継ぎたいと思わないのは当然である。嘘でも良いから、父のように「配置薬業界は素晴らしい業界だ」と経営者が声に出し続けることで、必ず業界に若い人たちが集うと信じている。従事する我々の言葉や思考が、社会を、そして若者を遠ざけている原因の一つであることを認識してほしい。知り合いの配置薬業者のお子さん達は、非常に優秀な子供が多い印象を受けている。医者や学者を目指す夢を持つ子供の話をよく耳にする。その優秀な知恵を、業界の発展に活かしてくれれば、もっと配置薬業界は素晴らしくなるに違いない。配置薬の家庭に生まれた子は、やはり家業を継ぐべきだと考えている。もちろん経営者として後を継ぐことは大変な思いをすることもある。だからこそ業界関係者は、踏ん張って明るく前向きにプラスとなる言葉を発するのだと宮島社長は話す。
配置薬業界という枠組みを外し
一般社会との違いを見る
また、これからの時代を生きていくためには「経営者として時代を捉える力」が必要だと話す。「現在の業界の働き方は、時代とかけ離れすぎている。例えば、休日を見ても一般社会では110~120日が企業平均であるが、配置薬の会社は全く違う。お客様の都合で、場合によっては土日出勤、夜は10時頃まで働かせる会社もある。しかし、宮島薬品は、早くから異業種の労働環境に対する視点を持ち、年間休日120日を目標にしている。配置薬業界で話をすると大変驚かれるのだが、一般社会で考えると当たり前なのだ。経営者として考えるべきは、配置薬業者の常識ではなく、一般社会の企業としての常識に視点を置くことだと話す。早くからそうした改革に取り組んだ経営努力の積み重ねが、従業員に時間を掛けて伝わり、離職率も格段に改善された。要は社員が、会社の姿勢を認めたのだ。宮島社長は、「一般社会の常識が通用しない企業は社会から淘汰される。宮島薬品はその当たり前に追いつくために、年間休日120日を目標に活動している。」と話す。しかし、配置薬業界という枠組みの中で物事を考える経営者がまだまだ多く、そうした挑戦をする人が少ないのが現実である。宮島薬品のように、どうすれば皆が働きやすい企業になるのかを追求することが、今の業界にとって売上よりも大切なことなのかもしれない。
事業の拡大は自社の拡大ではなく
配置薬の認知度上昇という考え
配置薬業界に携わり、今まで40年間お客様の健康を支え続けてきた宮島社長には壮大な夢がある。それは将来、皇后陛下から「良くやった」と賞状をいただくことだと目を輝かせながら語った。皇后陛下は、日本赤十字社の名誉総裁をされており、献血などの慈善活動活動を通じて国民に対して大きな貢献をした方に叙勲される。簡単に数千万円単位での寄付をしても授与されるのだが、宮島社長は、配置薬業界の活動が認められて叙勲を授与することに意味があるのだと強いこだわりを持つ。宮島薬品では、献血を定期的に行い、社長自らが取引先や金融機関に頭を下げ、献血活動への協力を推進している。岐阜県配置薬組合の先輩方が長年継続する伝統的な社会貢献活動が献血であり、もちろん後輩としてその伝統を守り続ける。その一方で、企業として献血の推進活動に尽力し続け、いつか日頃の活動が認められ勲章を授与される時が来れば、という壮大な夢を描いている。「配置薬の活動が第一」という宮島社長は、今後も事業拡大が出来るチャンスがあれば挑戦したいと話した。それは、一人でも多くの方が、宮島薬品の薬箱を通して、健康な生活を手に入れて欲しいという社長の純粋な利他の心を感じた。事業の拡大は「自社の拡大ではなく配置薬の認知度の上昇」と言い切る宮島社長は、配置薬業界全体のために今後も様々な挑戦を続けていく。
宮島薬品株式会社 〒501-6002 岐阜県羽島郡岐南町三宅8-222
宮島薬品株式会社のHPはこちら