インタビュー

良き伝統を残しつつ時代に合わせた進化を

愛知県稲沢市で地域医療を守る和漢薬房
ルーツは医薬品発祥の地「奈良県」

愛知県・岐阜県を拠点に配置薬販売業を営む和漢薬房株式会社の3代目として様々なことに取り組む深井和教氏。深井和教氏のルーツは、医薬品発祥の地として知られる奈良県。歴代の天皇陛下が祀られる橿原神宮がある奈良県橿原市で叔父が深井薬品工業株式会社という製薬メーカーを営んでいた。深井薬品工業株式会社は明治創業の老舗製薬メーカーとして、テレビCMを打つほど隆盛していたメーカーだった。しかし、第二次世界大戦が始まり、叔父や父は徴兵となりう戦争に出向する。徴兵から復帰した時には、業界の区割り制度が新設され、販売地区に規制が掛かる形となり、自由競争社会ではなくなった。それによって自由に営業が出来なくなり、何か別の事業拡大案を模索する中で、事業所に対する配置薬を考案し、事業化を推進した。当時4千円以上かかるスチールの配置箱に1事業所当たり5万円以上の製品の配置薬を設置し販売を始めところ、戦後復興の高度成長期に運よく差し掛かり、1顧客当たり毎月1万円以上の売上が確保できるようになり事業は波に乗った。その後、深井薬品工業として全国に営業拠点を増やし、父は1960年代に愛知県で配置薬業を営むようになった。


事業所配置に違和感を覚え
本来の配置薬を大切にする同志を求めた

深井氏は、父の元で配置薬を覚え、父が注力していた事業所への配置事業を推進していった。しかし、父が引退し、自らが代表となり事業を進める上で、「これで良いのだろうか?」という事業所配置薬事業に対する違和感が生まれた。本来、配置薬業とは個人と個人のつながりで、お客様だけでなく、そのご家族と深い関係になり、人生を共有するのが「本来の配置薬」の姿だという思いがあったからだ。事業所に対する配置薬は、確かに個人宅への配置薬事業と比較すると売上も上がるし、会社としても成長が出来る。しかし、誰が何を利用したのか?が一切わからない。これではお客様との人間関係も深くなるどころか、配置薬として人々の健康を支え、人生に活力を持っていただくためのお手伝いが出来ない。そんな違和感がずっと拭えなかったため、1988年に深井薬品工業から独立をし、フカイ薬品を立上げた。その後、同じ思いを持つ岐阜県の有限会社松田薬品と1993年に合併し、現在の和漢薬房の土台が出来上がった。


昭和から平成に向けて本物の薬屋が居なくなった。
和漢薬房はお客様の生涯を支える薬屋を目指す。

和漢薬房株式会社は、一般的な配置薬の企業形態とは異なり社員がいない。入社当初は社員という形で雇用契約を結ぶが、日常業務を覚え業務に慣れると、早い段階で委託契約に切り替わる。いわゆる保険会社の独立営業や、コンビニエンスストアのフランチャイズのような形に近い。顧客管理・商品管理は担ってもらうが、全員が薬屋のオーナーとして、真摯にお客様に向き合い、お客様の生涯現役を支えるように尽力してもらう。配置薬業界の時代は変わり、昔のように家族全員と付き合い、一人ひとりと向き合う営業から、ただ単に件数だけを積み重ねるルート営業が主流となった。昭和から平成の前半期までは廻商地で宿泊をして営業を回ったりするスタイルだったが、平成の中期以降は、廻商地に営業所や事務所を開設し、地元の人を雇用し、そこからの自動車による営業に変わっていった。この形を選択したことが、配置薬業界の在り方の変化に繋がると深井氏は話す。「薬屋として意識が低い人も配置薬業を始めることになったことが問題と考えている。当時は医薬品配置販売業として甲と乙の資格区分があり、乙の資格は甲に所属すれば誰でも取得できた。それにより一生涯の健康管理では無く、飛び込み訪問販売の発想からくるような営業活動が行われるようになり、今の業界低迷につながっていった。」と深井氏は業界の反省点を述べた。その反省を活かして、和漢薬房では顧客1人1人の生涯と向きあい責任を持つような業務を心掛けている。

ル薬は業界をダメにする制度
一年以内に全ての商品を消費する努力を

和漢薬房では商品を1年以内に消費する配置を基本方針とし、逆に1年以内で消費(売れない)しきれないのは販売力が無いからだと言い切る。置き薬の現場を回ると、必ず他の会社の配置薬も設置している場合が多い。いわゆる重ね置きというやつだ。重ね置きがある場合、他社の様子をお客様に聞いてみる。すると、配置している薬の説明や、その薬が何故そのお客様に必要かといった情報がお客様に伝わっていないことが多過ぎることに驚く。薬だけが配置されており、情報がしっかりと伝わっていないのだ。仕入れてからお客様の下に設置し、1年以内で消費されるには、営業担当者が商品へ対する愛着と、その愛着心と連動した知識情報が必要なのだと力強く深井氏は言った。また、業界特有の配置薬の返品制度。始まるきっかけは、昭和40年頃に起きたピリン系風邪薬による重篤な副作用被害。この事件をきっかけに、医薬品メーカーによる使用期限・配置期限が商品管理のため記載されるようになった。その際に配置期限が過ぎたものを交換できることにしたものが、現在まで続くル薬制度だ。他業界を見ると、商品に瑕疵が無い限り返品はできないのが当たり前だが、配置薬業界は常識のように行われる。この制度がメーカーにとって経営を圧迫する一つの原因となっている。深井氏は、返品制度に甘え、いつまでもル薬を返品し続ける配置員の資質について疑問を投げかける。また、販売会社の代表や責任者自身が、製品の消費率や返品率を把握できていないことが大半だと嘆く。その製品をもって本気でお客様の健康管理をしようと思い、製品を大事に思っていればル薬などでないはずだと深井氏は話す。小売業者だけでなく、メーカーも返品制度を受け入れ続けいているからこそ医薬品配置販売業はよくなっていかないという。「メーカーの生命でもある製品を安易に返品される現状を悔しく思って欲しい。国民の保健衛生において医薬品メーカーは製品の生みの親、小売業者は育ての親としてこれからも製販一体で業界を支えて欲しい」と深井氏は見業界の未来についての願いを語った。


次世代の配置薬システムを自ら生み出す
「顧客の幸せ」を本気で想う

深井氏は様々なことに挑戦をしてきた。それは配置薬の先人の方々も常に顧客の健康のために挑戦してきたからである。今は草の根VAN21という仕組みを作っている。これからの時代の新たな製販一体を創出するためでもあるそうだ。通常の質の高い顧客管理や商品管理をパソコン、スマホやタブレットでも行えるだけでなく、製品ごと顧客ごとの1年消化状況をシステムとして自動チェックが行えるという内容。そのうえ、配置薬メーカー・問屋側にも供給された製品の顧客ごとの配置状況、売り上げ状況が毎日ウェブ・ビューイングできるシステムだ。ウェブ・ビューイングとは、メーカー・問屋側はインターネット閲覧さえ出来れば、システム共有をしなくても閲覧できる仕組みである。
配置薬業は、国民の生活・保健衛生に綿密に関わり必要とされていたからこそ、医薬品配置販売業が法律にも認められた。医薬品配置販売業は超高齢少子化社会の日本国には必要な事業であると語る。
お客様に最後まで健康でいてもらう、もし何かあっても最後までお客様の生涯を支えるための老人ホームのような施設の建築も視野に入れていると、配置薬とお客様のことを思い続ける深井氏の視線の先は明るく輝いている。



和漢薬房株式会社 〒492-8031 愛知県稲沢市陸田高畑町34
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