コラム

第2回 小善は大悪に似たり


部下に対する真の愛情とは?

 人間関係を良好にするためには「愛情をもって接する」ことが大切です。しかし、良好な関係を築きたい、周囲に嫌われたくないからといって甘やかしたり、間違ったことを注意しなかったりすることは全く別の次元の話だという認識を持たなくてはなりません。人を喜ばせるのは非情に簡単なことです。悪い言い方をすれば、甘やかしたり、褒めたり、餌をあげたらそれだけで人は簡単に喜ぶのです。そして、いとも簡単に周囲からの評判を得ることも出来るのです。仲が良いのは決して悪いことではありません。仲が良いという部分だけで見れば、本当に人間関係で悩むこともなく、仕事もはかどるように見えるでしょう。しかし、相手がミスをしたり、不正をしたり、過ちを犯した場合、どういう行動をとるか?そこが重要です。人間関係を重視するがために、見逃す人もいれば、本当の愛情を持って、その過ちに対してしっかりと意見を述べる人もいるでしょう。大切なことは、今、それを笑って見逃し楽をさせてあげる事がその人のためになるのか、それとも、今は注意を受けて苦しくなるかもしれないが、将来的なことも考慮し、自分の力で乗り越えていく力を身に付けるように教育することがその人のためになるのか、本当に相手の将来にとって為になるのはどちらかということを真剣に考え、そこに向かって導いていくのが、一番の優しさを持った仲間だと思います。


小善と大悪の違い

会社においての上司と部下の関係や、同僚との関係も同じです。単に部下や仲間に嫌われたくないがために、どんな状況下でも、優しく接するだけの人は、一見、その時は「優しくて理解のある人」と感じますが、長い目で見た場合、必ず周りにダメな人間を増殖させ、会社をダメにしていく人なのです。そうやって一時的な優しさや、自分自身の評判や保身のために、これくらいならまぁ良いか、と多くのことを見逃す間違った優しさを「小善」といいます。このように表面的な優しさや偽善的な愛情は、最終的に相手を大きな不幸に導く大悪なのです。逆に、責任感と信念、愛情を持って厳しい言葉を発する上司や同僚は、その時は煙たい存在に感じるかもしれませんが、長いスパンで見れば、きっとあなたを大きく成長させることに繋がるのです。これが「大善」です。しかし、そこには言葉の選択も必要であることを忘れてはいけません。


愛情をもって平等に判断する

ただ叱るだけでは、当然、人は育ちません。本物の愛情を持って、共に働く人たちを「本物の仲間や家族」と思い、互いに尊重し合い、真心を持って接することで必ずその思いは周囲に伝わっていきます。ですので、何が正しいのかを厳しく見極め、間違っていた場合には、部下や同僚に対して気遣うのではなく、ダメなものはダメ!と、正面から間違いを指摘できる関係を創り上げてください。それがが本物の愛情なのです。皆さんも、人生や仕事において、人間関係だけを重視し、その場限りの判断で見逃している「小善」があるのでは?と感じた時は、一旦落ち着き、「これは小善か?大善か?」を自問自答してみると、自然と答えに辿り着きます。