インタビュー

経営者の努力こそが、人を呼び、業界を活気づける

原点は学生時代にした数々のアルバイト

大阪府から始まり、兵庫県・鳥取県・福井県・愛知県・新潟県・山形県・宮城県・岩手県・茨城県・東京都・千葉県・群馬県・栃木県・埼玉県等を中心に広く配置薬販売業で地域を支える株式会社ムラタ漢方の創業者・村田信八氏。配置薬は祖父の代にスタートし、薬屋としては3代目。個人商店から法人へと事業拡大し、多くの社員を抱えるまでになった。ビジネスに興味を持ったのは学生時代の数々のアルバイトだという。一つ、婦人服の販売を行う会社でアルバイトとして働いていた村田社長。服の販売だけでなく、夜の店舗改装の手伝い、陳列ディスプレイの考案、どうやったら今よりも売れるか?と独自の販売方法を考えるのが楽しかったし、実際よく売ったという。高い服の方が売りやすかったし、社員と違って給料からの天引きされるものも無いので、正社員の給与よりも稼いでいたという。よく動き回り、売り上げでも貢献するので、幹部の方からも可愛がってもらい、特別に社員旅行へ連れて行ってもらえるほどだった。学生時代にアルバイトで月に30万円を稼いでいたので、「最低給与」はそれ以上という基準になった。現代では100万円相当になる。その他にも大阪大丸心斎橋店で全てのレジを回りお金を回収する出納課という少し変わった所でも働いた。全てのレジを回り、現金が一か所に集められると、何億というお金が目の前に積まれる。学生の頃から、億という金額を目の当たりにしていた経験から、ビジネスの感覚が同年代の人たちとは大きくかけ離れ、自分でもやるなら大きいビジネスをしたい、という思考に自然となっていた。


年間売上1億を超える先生と呼ばれた配置員

大学を卒業後、配置薬を営む親戚と取引のある製薬メーカーの紹介で、静岡の配置薬販売会社への就職が決まり、卒業式の日に静岡に行き、翌日から働いた。初任給は安かったが、いつか父の後を継ぐための丁稚奉公としての修業期間と考えていたし、教えてもらっているという認識で働いていたので感謝しかなかった。そんな丁稚奉公時代、多くスーパー配置員さん達との出会いがあった。現代では信じられないが、当時は年間3~5千万円を売り上げる配置員の方がたくさんいた。特に衝撃を受けたのが愛知県のAさん。Aさんは廻商にアタッシュケース1つだけを持ちお客様を訪れる。驚いたのが薬の入替えは行わない。そして、行く先々で「先生」と呼ばれる。お客様に今日の様子や体調の経過を聞いて、健康管理のアドバイスを行う。知識は医者並みである。帰り際には「今回は10個やな」そんな会話が笑顔で行われた。初めは単位がわからなかった。後でAさんに聞くと、1個は1000本、商品は自分では配達せずに配送し、代金は口座に振り込まれる。誰とも違うAさんに衝撃を受けたと同時に自分の無力さを痛感した。

父の怪我がきっかけで若くして家業の跡継ぎに

この業界に入った当初からAさんのようなスーパーマンを見てきたので「普通の配置薬」には全く興味がなかった。いつかAさんのようになりたいと願い営業に勤しんだ。就職当初は最低5年は頑張ろうと決意したのだが、3年目に父が事故で怪我をしたため仕事が出来なくなり後継ぎとして白羽の矢が立つ。村田社長は覚悟を決めた。覚悟を決めて家業を継いだのは良いが、けがの影響もあり、父からの引継ぎはなく東京都内の顧客台帳を渡され「これを頼りに行ってこい」と言われた。当然ナビもスマートフォンもなく地図に頼るしかない時代。東京都内の道路は複雑すぎて全体マップと細部を見る住宅マップの二つの地図を購入し、それを頼りに営業活動を行った。そうして営業経験を積みながら、地元ではJC(青年会議所)に所属し、地域の繫がりも大切にした。そんな仲間たちと毎晩飲みに出掛けたりもしたが、周りの次期社長の仲間たちは、飲み潰れて翌日会社を休んでも給料には全く影響がない。しかし自分は個人商店なので仕事に行かないと収入がない現実を目の当たりにして法人化を目指すことを決めた。


社員とメーカーと共に1万軒の新規開拓を実施

法人化を目指すには事業の拡大しかないと考えていたときに、ちょうど売りに出ていた新潟県上越市の顧客名簿に目を付けた。300軒程度の顧客数だったが、当時の総理大臣である田中角栄氏に興味を持っていたこともあり購入を決めた。購入後まず最初に海岸地域の直江津市から妙高市まで、社員とメーカー協力に助けられ1万軒を新規開拓した。そして社員を現地採用して、次から次へと開拓を繰り返し新しい営業所を開設して行った。そして平成7年ついに法人化した。法人化した時から、社員たちに教えてきたことがある。「品物を売るのはそんなに難しくない。商品を売ろうとするから難しくなる。営業の本質は物売りにならないことであるがみんなこの落とし穴にはまってしまう。お客様の話しを聞き、お客様にとって聞きたい価値ある知識・情報提供を行う。

お客様の聞きたい情報を、専門知識を加え提供することで顧客満足度が上がり信頼度が上がる。それを継続することでリピーターが増える。商品を売ると「買わされた」となり、継続が難しくなりクレームの対象となる。また、商品は高額な商品ほど価値があり提供しやすくなる。本当に欲しいものに顧客も必要性や価値を感じる。その必要性を的確に捉えることで顧客というファンを増やしていく。現役当時村田社長は高麗人参の年間契約販売で100万円単位で売上げを上げたという。結局営業はその人の人間力の総合評価である。現在でも200万円/月売り上げの人は沢山いるが、300万円/月となると減ってくる。やはり500万円/月ぐらいを狙わないと面白くないという! 元々仕事は好きだったので、今みたいに労働日数とか労働時間とか関係なく365日24時間どれだけ仕事をするかにこだわった。


雲の下ではなく、雲の上で仕事に取り組もう

村田社長に、今の配置薬業界について聞くと次のように答えた。「売上」とは何の数字か?お客様の営業社員に対する通信簿で、その結果が自分の評価となり給与として反映される。
つまり数字が上がらないのはお客様からの信頼が得られていないという証拠。今の世の中を見ると、雲の下で仕事をしている人が多いように感じる。雲の下だと雨風があるが、雲の上に行くと常に晴天。1億以上の売上を出すプレーヤがいた時代、配置員みんな常に前を向き晴天の心で仕事に取り組んでいた。仕事とはそういう気持ちで取り組むのが基本だと思う。雲の下で仕事をするから雨が吹いたり風が吹いたりして心が揺れ、不平不満が生まれてくる。不平不満は出来ない自分の言い訳である、やめておけ。配置薬業界の人の話を聞くと不平不満や暗い話が多いが、そんな話をする人達からは早く離れた方がいい。「地獄の穴除き」 自分も雨風にさらされることになる。明治・大正・昭和の延長の仕事、入れ替え屋には何の興味もない。そうではなく、常に最新の知的情報提供が必要で前を向き、心を晴天にし、仕事に取り組む人たちが増えれば業界も変わるのではないか? コロナ禍の3年で時代が10年分ぶっ飛んだ。

衰退産業だからこそ、異業種以上の努力が必要

現在の配置薬業界の状況は、経営陣の努力不足と営業担当者の知識不足が一つの原因だという。確かに努力はどの業界でもしていることだろう。配置薬業界のように衰退している業態であれば、周囲に勝る努力をしなくてはならないはずだ。村田社長は「知識は宝・武器である、学ぶ努力を怠り歴史に甘えてきた私たちの責任が大きい」と、知識に対する認識をまずは改革するべきと警鐘を鳴らす。物事を攻略したければ2倍・3倍の努力はあたりまえ、今の時代は二乗の努力が必要である。つまり、2倍にするためには4倍の努力、3倍にするためには9倍の努力が必要である。現在の感覚で進むと、それこそ業界は「茹でガエル」状態で崩れていく。

村田社長の知人に建築関係の営業マンがいて、このコロナ禍の時代に特殊な家庭用医療機器の水素水を販売して、2ヶ月で3000万円以上の売上を叩き出す。今の配置の世界では耳にしないレベルの話だ。ムラタ漢方でも先月からこの家庭用医療機器の水素水の取り扱いを開始したが、数週間で500万円もの実績が出た。つまりお客様のニーズがそこにあるということ。ドラックストアを見て見ると薬やサプリだけではなく、食品や雑貨、多品種にわたって取り扱いされている。

要は企業として顧客ニーズとどう向き合うか? ムラタ漢方は違う、配置薬業界を「健康産業」と捉えている。会社のこだわりで「置き薬」しか提供しないのはお客様から見て余りメリットがない。ドラックストアの方が安くて豊富な品物が沢山ある。またネット販売もある。シニア層の顧客は高齢化によりどんどん減少して減るばかりであるが、顧客を増やそうにも若い世代の家庭に「置き薬」は入って行けない。 今後お客様に提案・提供する魅力あるサービスを早急に開発していかなければ将来の成長はない。

現在村田社長は、株式会社ウエストラインフィットネスのシニア向けジムの取締役であり、一般社団法人「未病医学研究所」の理事長である。また「健康産業」は万国共通で世界中に無限の可能性を秘めているという。村田社長は60歳から「鍼灸」の専門学校に行き国家資格を取り、その後、関西医療大学大学院に進学し、東洋医学の研究 「未病」 を研究テーマとして「とむLabo」に所属し、各専門のお医者様や薬剤師、医療専門の先生方とあらゆる研究を進め 「デルマヨガ」 - 「皮膚は0番目の脳」 健康寿命延伸の研究開発に取り組んでいる。


業界で働く人々がプロ意識を持ち
真の顧客満足の追求に尽力する

最後に、未来の配置薬に何を望むか?という質問を投げかけた。将来の配置業界は、「箱にこだわらず様々なことに挑戦する業界になってほしい」と言う。また古薬のシステムなどは消滅・改善するべきだとも言い切る。「期限が切れるとメーカーに返品すれば良い、という甘い考えになり、経営努力が失われてしまう原因でしかない。この甘さが中途半端な努力で満足させる麻薬になっており業界の成長を妨げている」と話す。だからこそ古い慣習は捨てるべきだという。業界では法律上「先用後利」が配置販売の特徴として良いと言われているが、今の時代、私はそれが良いとは思わない。お客様から言われる、【お金を払うと言っているのに変わっているねえと!】

そして、もう一つは、情報提供の中身と方法だという。ここが対面販売B to Cの強みである。
お客様との対話で「掴み」と「落ち」が出来ないとクロージングは成功しない。落語や漫才を勉強すべきである。またメーカーも努力をして異業種と勝負のできる情報提供や商品開発をすべきである。つまり先述にあった「最新の専門知識の量と中身」が重要であり、知識を得ることにもっと貪欲にならないといけないという。「これらが揃ってくると、業界には自然と若い優秀な人が集まり活気が出てこないはずがない」と結んだ。村田社長のまなざしは、これからもお客様の笑顔を追い求めている。



株式会社ムラタ漢方 〒639-2125奈良県葛城市西辻246-3
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