常に晴天の心で働くことが活路を拓く。
学生時代のアルバイトから
学んだビジネス感覚
大阪府から始まり、東京都や愛知・新潟など全国15の県で配置薬販売業を通して地域を支える株式会社ムラタ漢方の創業者・村田信八氏。配置薬は祖父の代に始まり、薬屋としては3代目。個人商店から法人へ事業拡大し、多くの社員を抱えるまでになった。 ビジネスに興味を持ったのは学生時代の数々のアルバイトだという。一つは婦人服の販売を行う会社で、服の販売だけでなく、夜の店舗改装の手伝いや陳列ディスプレイの考案、それだけではとどまらず独自の販売方法を考え、実際に服を販売するのが楽しかったし、実際よく売ったという。感覚でいうと高い服の方が売りやすかった印象があると話す。よく動き回り、売上でも貢献するので、幹部の方からも可愛がってもらい、特別に社員旅行へ連れて行ってもらえるほどだった。 学生時代には、アルバイトだけで月に30万円を稼いでいたこともあり、「働くのであれば、最低給与はそれ以上」という基準になった。現代では100万円相当になる。その他にも大阪大丸心斎橋店で全てのレジを回りお金を回収する出納課という少し変わった所でも働いた。全てのレジを回り、現金が一か所に集められると、何億というお金が目の前に積まれる。学生の頃から、億という金額を目の当たりにしていた経験から、ビジネスの感覚が同年代の人たちとは大きくかけ離れ、自分でやるなら大きいビジネスをしたい、という思考に自然となっていた。
年間売上1億を超える先生と呼ばれた配置員
大学卒業後は、在学中に配置薬業を営む親戚と取引のある製薬メーカーから紹介された静岡の配置薬会社に就職し卒業式の日に静岡へ向かい翌日から働いた。 初任給は安かったが、いつか父の後を継ぐための「丁稚奉公としての修業期間」と捉えていたので不満を抱くどころか感謝しかなかった。そんな丁稚奉公時代、多くのスーパー配置員さん達との出会いがあった。現代では信じられないが、当時は年間3~5000万円を売り上げる配置員の方がたくさんいた。特に衝撃を受けたのが愛知県のAさん。Aさんは廻商にアタッシュケース1つだけを持ちお客様を訪れる。驚いたのが薬の入替えは全く行わない。そして、行く先々で「先生」と呼ばれる。お客様に今日の様子や体調の経過を伺い、健康管理のアドバイスを行っていく。知識は医者並みである。帰り際には「今回は10個やな。」そんな会話が笑顔で行われた。初めは単位がわからなかった。後でAさんに聞くと、1個は1000本、商品は自分で運ばずに送り代金は口座に振り込まれると説明を受けた。誰とも違うAさんの仕事の流儀に衝撃を受けたと同時に、今の自分の無力さを痛感したと村田社長は話す。この業界に入った当初からAさんのようなスーパーマンを見てきたので「普通の配置薬」には興味がなかった。いつかAさんのようになりたいと願い営業に勤しんだ。就職当初は最低5年は頑張ろうと決めていたが、3年目に父が事故にあい仕事が出来なくなり、急遽後継ぎとして白羽の矢が立った。
父の怪我がきっかけで若くして家業の跡継ぎに
覚悟を決めて家業を継いだのは良いが、けがの影響により父からの引継ぎもなく都内の顧客台帳を渡され「これを頼りに行ってこい」と言われた。当然ナビもスマホもなく地図に頼る時代。都内の道路は複雑すぎて全体マップと細部を見る住宅マップの二つの地図を購入し、それを頼りに営業活動を行った。そうして営業経験を積みながら地元ではJC(青年会議所)に所属し、地域の繫がりも大切にした。JCの仲間たちと毎晩飲みに出掛けたが周りの次期社長となる仲間たちは飲み潰れて翌日会社を休んでも給料には全く影響がない。しかし自分は個人商店なので仕事に行かないと収入がない現実を目の当たりにして法人化を目指すことを決めた。
品物を売るのではなく
徹底してファンを増やす
法人化を目指すには事業の拡大しかないと考えていた時、ちょうど新潟県上越市で300軒程度の顧客名簿が売りに出ていた。当時の総理大臣である田中角栄の人柄や言葉に興味を持っていたこともあり、すぐに購入を決めた。購入後、まずは海岸地域の直江津市から妙高市まで、社員とメーカーに協力してもらい1万軒の新規開拓を実施した。そして社員を現地採用し、次から次へと顧客を増やし営業所を開設して行った。そして平成7年ついに法人化に辿り着いた。夢がかなった瞬間だった。村田社長は、事業を拡大していく中で、社員たちに伝え続けたことがある。それは「品物を売るな」ということだ。営業の本質は物売りにならないことであるが、商品を売ろうとするから営業活動が逆に難しくなる。お客様の様子を聞き、お客様にとって価値のある知識・情報提供を行う。お客様の知りたい情報に、少しの専門知識と数字を添えて提供することで顧客満足度が上がり信頼度が上がる。それを継続することでリピーターが増える。商品を売ると「買わされた」という意識が芽生え、継続されずクレームの対象となる可能性が生まれる。また、商品は高額になるほど価値が高く提供しやすい。顧客の必要性や価値感を感じ取り、それらを的確に埋めていくことで商品や営業担当者の「ファン」を増やしていく。現役当時、村田社長は高麗人参の年間契約販売で100万円単位で購入してくれるファンをたくさん持っていたという。結局、営業とは「その人の人間力の総合評価」だという。現在、業界を見渡すと月に200万円の売上をする人もいるが、300万円となると一握りだろう。村田社長が話す「営業の面白さ」とは、500万円ぐらいを狙えるくらいにならないと見えてこないのかもしれない。
不平不満を言うのではなく
常に前を向き晴天の心で取り組む
そもそも「売上」とは何の数字かを考えなくてはならない。村田社長が考える「売上」とは、営業担当に対するお客様からの通信簿だという。つまり売上がないのは、担当先からの信頼が得られていない証拠だという。「雲の下だと雨風があるが、雲の上に行くと常に晴天。1億以上の売上を出すスーパー配置員は、常に前を向き晴天の心で仕事に取り組んでいた。仕事とはそういう気持ちで取り組むのが基本だと思う。雲の下で仕事をするから雨が吹いたり風が吹いたりして心が揺れ、不平不満が生まれる。村田社長は、元々、工夫をして仕事をするのが楽しくて、仕事に対して不平不満など持った経験が無かった。とにっかう仕事が好きだったので、現代のように労働日数とか労働時間とか関係なく365日24時間の中で、どれだけ仕事をするかにこだわったと話す。また、「不平不満や暗い話をする人達からは早く離れた方がいい。自分も雨風にさらされることになる。そうではなく、常に前を向き、心を晴天にし、仕事に取り組む人たちが増え、そういう人たちが集まればこの配置薬業界も変わっていくのではないか?」と村田社長は、業界へ向けて提言した。
衰退産業だからこそ、異業種以上の努力が必要
現在の配置薬業界の状況は、経営陣の努力不足と営業担当者の知識不足が一つの原因だという。確かに努力はどの業界でもしていることだろう。しかし配置薬業界のように衰退している業態であれば、周囲の異業種に勝る努力をしなくてはならないはずだ。村田社長は「知識は宝・武器である、学ぶ努力を怠り歴史に甘えてきた私たちの責任が大きい」と、知識に対する認識をまずは改革するべきと警鐘を鳴らす。今、業界を長らく取り巻く苦境を攻略したいのであれば異業種の経営者の2倍・3倍の努力はあたりまえ、時代背景まで考えると二乗の努力が必要だと考えている。つまり、2倍にするためには異業種の4倍の努力、3倍にするためには9倍の努力が必要である。現在の感覚で進むと、それこそ業界は「茹でガエル」状態でますます崩壊していくだろう。村田社長の知人にコロナ禍に特殊な家庭用医療機器の水素水を販売して、たった2ヶ月で3000万円以上の売上を叩き出した建築関係の営業マンがいるそうだ。今の配置薬販売の世界では耳にしない夢のような話だ。ムラタ漢方でも先月からこの家庭用医療機器の水素水の取り扱いを開始したが、数週間で500万円もの実績が出た。つまりお客様のニーズが、水にあったということ。ドラックストアを見わたすと薬やサプリだけではなく、食品や雑貨、生活用品まで幅広く多品種にわたり取り扱いされている。要は企業として顧客ニーズとどう向き合うか? が重要だという。ムラタ漢方はただの配置薬業者とは違って配置薬そのものを「健康産業」と捉えている。会社のこだわりで「置き薬」しか提供しないのはお客様から見て余りメリットがない。ドラックストアの方が安くて豊富な品物が沢山ある。またネット販売もある。今、昔からのお客様であったシニア層が、高齢化によってどんどん後期高齢者になりつつある。寿命を迎えお亡くなりになる方も増え、顧客数は減少していくばかりである。しかし、顧客数を増やそうにも、現代の若い家庭には「置き薬」とうサービスは受け入れられない。 今後、お客様に対して何らかの魅力あるサービスを提供できなければ将来の成長はないと考えている。
その一つが現在、村田社長が取締役を務めるシニア向けジム「ウエストラインフィットネス」だ。その他にも一般社団法人「未病医学研究所」の理事長も務め、配置薬業界だけでなく、多岐にわたり情報収集を行える環境下を自ら作り出している。また村田社長は60歳から「鍼灸」の国家資格を取り、その後、関西医療大学院に進学し、「未病」を研究テーマとする「とむラボ」に所属。各専門の医者や薬剤師、医療専門の先生方とタッグを組み健康寿命延伸の研究に取り組んでいる。いくつになっても冒険心と挑戦心を忘れることなく前進すれることで活路は作り出せることを、業界の若者たちに示してくれているのかもしれない。
業界で働く人々がプロ意識を持ち
真の顧客満足の追求に尽力する
最後に、未来の配置薬業界に何を望むか?という質問を投げかけたところ「将来の配置業界は、箱にこだわらず様々なことに挑戦する業界になってほしい」という答えが返ってきた。また「古薬のシステムなどは消滅・改善するべきだ」とも言い切る。その理由を聞くと「期限が切れるとメーカーに返品すれば良い、という甘い考えになる。この悪しき習慣が経営努力を生まない原因でしかないく、中途半端な努力で経営が何となく成り立つ麻薬になっている。この古薬システムこそが業界の成長と発展を妨げている」と話す。だからこそ古い慣習は捨てるべきだという。業界では法律上、先用後利が守られているが、現場に行くとお客様は「今お金を払うと言っているのに受け取らないとは・・・変わっているねえ」と言われることも度々ある。こうした古い体質は歴史なので大切なことかもしれないが、時代にそぐわないのであれば変えていく努力が必要だと話す。そして、もう一つは、情報提供の中身を向上させることだという。対面販売の強みであるお客様との対話で「掴み」と「落ち」が出来ないとクロージングは成功しない。だからこそ話術を学ぶために落語や漫才を見ると凄く勉強になるという。健康産業人は常に「最新の専門知識」を身に付けているかが重要であり、知識を得ることにもっと貪欲にならないといけないという。「こうした人に対する教育の部分も揃ってくると、自然と若い優秀な人が集まり業界全体が活気付く」と結んだ。村田社長のビジョンは、これからもお客様のために何が出来るのか?を自問自答し続け、お客様の最高の笑顔と健康長寿実現に向けた世界創りを追い求めているのだろう。
株式会社ムラタ漢方 〒639-2125奈良県葛城市西辻246-3
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